Crazy observation
「ハハッ…痛そ。“12時56分…指、切傷”」
ポケットから取り出した小さなメモ帳。真新しいページを捲り、軽快にペンを走らせる。
右の指先を抑え、困惑した表情に涙を浮かべてる姿を視界の端に捉える。瞬き一つも許さず、ジッと見つめて離さない。
二列隣の、3つ前の席。頬杖をついて眺めるのにベストな位置。少し残念なのは、俯いてしまうと表情が分からないこと。
彼のいる窓際と反対側に視線を動かた。クスクスと笑う者、小声で陰口を叩く者、スマホを構える者。ドブ溜めに群がる蛆虫のような奴らだ。
え、僕?僕をこんな蛆と一緒にしないでもらいたい。
僕は、どちらの味方にも付かず、ただ知らぬふりをする者。第三者。一番安全で、実は一番楽しいポジションの人間。
以前誰かが、僕も蛆虫だと言った。危害こそ加えてはいないけれど、傍観して楽しんでる最低な人格を持っている人間だと。
呆れて返す言葉も無かった。いじめなんぞで欲を晴らし、自己掲示欲が為に彼を傷つける、姑息で幼稚なお前たちと一緒にしないでほしい。
いじめというものには心を痛めているんだ。蛆虫の都合で苦しむだなんて、あってはならないだろう。
俺はただ、好きなだけだ。
傷が。
正確に言えば、傷を負った彼を見るのが。怪我や傷であれば何でもいい。切傷、擦り傷、打撲、心の傷…何でも。
もう異常性壁だと言われても別にいいよ、認めてる。怪我をした瞬間を見ると興奮する。傷跡、傷を負った顔はズリネタにできるぐらいに最高。そんな僕が正常なわけ無い。
僕の趣味、それは、彼の身体に刻まれた傷を記録すること。
僕にとっては、オナニーなんかよりずっと楽しい事。思春期真っ盛りの中学生の趣味としてどうか…女の身体より先に、傷に興奮が目覚めただけ。何も不思議なことじゃ無い。
「あーあ…“13時06分、左肘と左腿、打撲”」
ガタンと大きな音を立てて倒れた。足首を引っ掛けられ転倒させられるのはこのメモ帳の履歴の半分を占める事項。3日に一回は引っかかってる。
起き上がって、蹌踉めきながら教室の扉から出た。焦り、追う為、僕も立ち上がる。あと5分足らずで次の授業が始まるがそんな事はどうでもいい。
興奮で息が上がる。観れる。この瞬間の為に、学校に来てるようなものだ。
着いた先はトイレ。設計の意図がまるで掴めない教室から離れた場所に設置され、誰も使用しない場所だ。
照明のチラつく薄暗い室内に、鼻をすする音が響く。嗚咽する声も混じり聞こえ、俺の鼓動を掻き立てた。
「時間わかんない。まぁいいか…ハハッ…“心の傷…辛い、苦しい、悲しい”…ってとこか」
小声で呟き、新しく開いた真っさらなページにペンを走らせる。手に力が入って、筆圧が濃い。
嗚咽が加速した。喉が焼けるような酷い咳、その間に無理矢理取り込む呼吸の音、爆発したような泣き声。
痛いよね、辛いよね、あんな目に毎日あって、死にたくなるよね。
「ハハッ、アハッ、“痛い、辛い、酷い、苦しい、悲しい、ハァ、絶望、絶望、絶望”…!!」
メモ帳がみるみるうちに黒いインクで染まっていく。インクが伸びても構いはしない。この興奮を留めておかなきゃ。
個室の扉が開いた音がした。ペタペタと底の平たい靴が床を鳴らし、俺の方へと近づいてくる。
「あれ、こんな所でどうしたの?」
入り口まで出てきた彼に声をかける。
目元が真っ赤に腫れて、充血した目。鼻血に濡れた口元を拭う袖。3日前に新しく出来た、頬骨の青あざ。浅く息を吐く唇は僅かに震えて、怯えが丸わかりな垂れた眉。
堪らない。
目にまた涙が溢れて、それを出る度に袖で拭う姿がいじらしい。切った指先からは止まる様子のない血が雫を作っている。
必死に目元を拭う手首に釘付けになった。同じ男としてはあまりに貧弱な手首の外側に、赤紫色の大きな痣がある。5日前の17時26分に校舎裏で、バットで殴られそうになった時に咄嗟に防御した時に出来たものだ。
5日も経つのに薄くなるどころか、変色が進み悪化してるのがわかる。
こんなにも赤黒い色が似合う。
なら、“コレ”は最高に君に似合う。
痛いのは嫌?安心しなよ。痛いけど、コレは“痛みを和らげる痛み”。上品な痛みだ。ポケットから、真新しく、かつ完璧に消毒済みのカッターを取り出す。
コレを見た瞬間、身体を強張らせ、顔を歪め、口元を覆い吐き気に耐える姿に全身の血が異常な速さで回った感覚がした。
「ハハッ、違う違う。コレ、あげる」
心臓の辺りの制服をクシャクシャに掴んで、呼吸を整えてる。困惑しつつ警戒した顔は涙に濡れ、差し出したカッターと僕を見比べる。
今すぐメモ帳を取り出して書かなきゃ…俺の記録が途絶えてしまう。ああ、メモ帳、メモ帳、メモ帳…いや、記憶するんだ。『校舎南側男子トイレ、恐怖、不安、吐き気、心臓が締め上げられるような精神的苦痛』うん、完璧。
「コレで皮膚をね、薄く切るんだ。ああ、薄くなくてもいいよ。ただ深くしすぎると死んじゃうから。自分がスッキリする、適度な…そうだな、血が滲む程度がいいと思うよ。そうすれば」
楽になるよ。
やっちゃったかな。さっきから口元のニヤケが止まらない。あ、初めて見たよその顔。『校舎南側男子トイレ、不信感』。
勘違いしないで。これ、親切で教えてあげてるだけだから。この方法って、乱暴に高ぶってどうしようもなくなった気持ちを抑えられるんだよ。そうしないと、自殺しちゃうでしょ。君がいなくなるのは辛いし、寂しいから。コレを使って、耐えて、生きて欲しいんだ。決して、
俺の欲の為じゃ、ないから。
end.