澄水 藍のブログ

創作小説をアップします。

ノート


俺のクラスに一人、車椅子の奴がいる。詳しくは知らないけど、何とかって言う病気のせいで身体が不自由らしい。知ったところで何をしてやる訳でもないから、何の病気なのか知る気もない。

そいつは、教室の端に孤立気味に設置された大きめの机で毎日、何かを読んでは書いている。クラスの誰とも会話をせずに、授業と給食の時間以外、ずっと。

唯一アイツと接点があるのは俺達だけ。中学に入って目をつけてからずっと、放課後、校内に残ってるのを見つければ呼び出してきた。アイツの放課後のプライベート事情なんて知ったことじゃ無い。俺達には関係のない事だ。

捕まらない時もある。早くに学校を出て、何処かに行ってるらしい。花を持って近所の病院に入っていく所を頻繁に見かけると噂で聞いた。誰かの見舞いか、自分の身体の定期検査かなんかだろう。

面白くなかった。俺達の都合に合わせない事が。俺達が呼び出したい時に居ないのが。

それで思いついたのが、例のノート。使い込まれはいるけれど、綺麗に保たれている表紙。花や蝶々のイラストが描かれた中央に、『交換ノート』と書かれてる。

中身を読んだことがある。アイツの母親と思われる綺麗に整った字と、不恰好に曲がった字で書かれた文章がページをめくるごとに交互に現れた。書かれてる内容は他愛のない事。今日何を食べた、何をしてた、どこへ行った…俺達からすればどうでもいいことが書かれていた。

アイツが書いている内容の殆どは嘘だ。“今日はクラスの友達といっぱい話した”“今日は先生に褒められた”“今日は新しい友達が出来た”。思わず鼻で笑うような嘘を羅列してる。

話すどころか声も発さない、褒められる代わりに嫌味を吐かれる、友達なんていたことがないだろ…ページをめくりながらいつものメンバーでその文を馬鹿にした。

母親からの返事も可笑しくてしょうがない。“楽しそうで良かったわ”“凄いわね”“お友達と仲良くね”そんな母親の定番みたいな言葉が、ページの半分程度まで書かれていた。それも、かける言葉がなくなってきたのか、ページを捲るごとに書かれてる文字数が劇的に減っていってる。それを気にせずページいっぱいまで返事を書いてるアイツに呆れた。

このノートがアイツにとって大事なものだという事はわかってる。

前に一度理科室に呼び出した時、火をつけたアルコールランプでノートを燃やす振りを見せつけたことがある。顔が青ざめて、凄い勢いで車椅子ごと実験台に突っ込んで来た。伸ばした腕がノートを掴むのと同時に車椅子が倒れて、実験台の角に頭をぶつけた。鋭利な角で切った額から血が垂れて、倒れたアルコールランプが袖を燃やした。

俺は焦って、念のため用意しておいた水をかけた。男のくせに色白な細っこい手の甲に赤く火傷の跡が残ったのを気にしたのは俺だけで、アイツは手元に帰ってきたノートを大事に抱きしめてた。

確信を持った。それ程までして護ってきたノートだ。このノートが鞄に無ければ、あいつは絶対に探しに来る。確信は見事に当たった。お陰でここ1ヶ月はずっと、俺達の呼び出したい時に呼び出せてる。

『持ってきたぜ』


だから今日も、このノートは呼び出される材料にされる。


少しして、キィ…キィ…と耳障りな音を立ててノコノコとやってきた。ノートを見るや否や目を見開いて青ざめる。

今まで何度同じように呼び出されたと思っているんだ。ノートを持ってこなければいい話だろ。そんな事を思いながら、高く掲げられたノートに身構える。

『ホレ』

掛け声と共に投げ渡されたノートをキャッチした。青ざめた顔をそのままに、身体に合わない大きさのタイヤを不規則に回しながらこちらに向かってくる。

手を伸ばしてノートを取ろうとする姿に悪戯心が擽られるのは俺だけじゃない、このメンバー全員がそうだ。そう簡単に返してやる訳がない。俺達全員が満足するまでは続く。

座った位置からギリギリ届かない位置で散々焦らして、少し身を乗り出してきた所で、少し遠くで待機するメンバーにノートを投げる。伸ばしてた手が虚しく降ろされて、ノートが投げられた方向を見つめる。タイヤに手をかけて大きく回し、時間をかけて方向転換する。そしてまたノートの元に進んでいく。

哀れみの言葉も出ない。可哀想とも思わない。いじめられる原因を持って来るのが悪い。ノートを持ったメンバーに、俺と同じ事をされてる姿が滑稽で、暫く眺めてた。

数十分に渡って、俺含め4人のメンバーの間でノートを投げ合った。俺の元にノートが舞い戻ってきた。投げられ続けたノートは皺が寄って、何度か落とされた表紙は汚れている。

最初と比べ物にならないくらいノロノロと近寄ってきた。疲れたのか、上げていた顔は俯き、呼吸が荒くなっている気がする。タイヤを回す速度が遅く、ひどく重いものを引きずるように進むようになった。伸ばした手はガクガク震え、曲がり、ノートどころか俺の腕にすら届いていない。ノートを掴もうとする指が空を切り、重力のままに腕が落ちる。

「返してやろうか」

下げられていた顔がゆっくり上がった。赤くなった目と濡れた頬に驚いた。今まで同じ事をしてきてもコイツが泣いた事は無かったから。本当は返してやるつもりなんて更々ない。期待を持たせて、そこに立ってる木の枝にでも引っ掛けて置いて帰ってやる。

でもコイツはその言葉を信じたのか、俺の目を見てじっと待ってる。馬鹿みてぇ。ノートを目の前で振ってみる。そして手を伸ばしかけたのを見て、一気に頭上まで掲げ避けた。

ノートを追って思い切り伸ばした手はノートを掴まなかった。前に乗り出したせいでバランスを崩して倒れてきた身体を俺は避けた。身体は顔から、腕から、砂で凸凹なアスファルトに突っ込んだ。

倒れた背中に重石のように乗っかる車椅子の車輪がカラカラと回っている。身動きが取れないのか、ピクリとも動かない。メンバーと目配せをして、そばに植えられている桜の木の枝にノートを引っ掛けた。俺が背伸びして余裕で届く高さ。車椅子からだとまず届かないだろう。

欠伸が出た。メンバーも満足したみたいだった。そばの花壇に放っておいたカバンを各々取り、部活へ向かう生徒を横目に校門を出た。

ーー

「マジかよ、だっる」
『どうした』
「財布無え、置いてきた」


ゲーセンで鞄に入れたと思った財布が無い事に気がついた。制服やジャージだと100%店にバレるからトイレで私服に着替えて上着をブレザーからジャンパーに変えて学校を出てきた。その時に多分ブレザーのポッケに入れたままだ。

「とってくるわ」

早急に財布を回収してゲーセンに戻るつもりで店を出る。  

「は、雨とか…嘘だろ…」

最悪な事に曇った空から雨が降り注いでる。傘なんて持ち合わせていない。ジャンパーを傘がわりに被り、学校まで走った。

この時間は校内に入るには来客用インターホンを押さないとならない。忘れ物をしたと正直に言えば入る事は出来るが、この格好で教師に出くわすと厄介だ。校舎裏に回り、開けられた体育館から入り財布を調達した。

体育館から出る頃には雨が強くなってた。ずぶ濡れになるのを避けるのに、校門まで屋根のある、来た道と反対の方向へと進んだ。

さっきまで俺達がアイツをからかってた裏庭についた。床に倒れた身体も車椅子も無い。帰ったのかとつまらない感情が芽生えたのと同時に、暗く影を作った桜の木の下に何かがあるのを見た。

いた。座り直した車椅子を、枝の間に挟まったノートの真下につけている。

「なにしてんだアイツ」

ジャンパーを頭にかけて、背後に歩み寄る。音を消したつもりはないけれど、音がまるで聞こえないのか見向きもしない。俺が枝に挟めたノートは枝に挟まったまま、水に濡れふやけている。中の字はきっと、もう読めないだろう。

「おい」

返事どころか反応すらしない。雨に濡れた髪の毛が顔を覆い隠して表情がわからない。泥で汚れた車椅子と全身を、雨が洗い流してる。

手を伸ばして枝からノートを取る。下げられた顔の下にノートを提示した。雨のせいで身体が冷えて来た。早くゲーセンに戻りたいし、同情とかそういうのじゃない。明日揶揄う楽しみがなくなるのも嫌だから。

「ホラ」

一向に手に取る気配がない。さっきまで散々取り戻そうと奮闘してた癖に。雨のせいもあって苛立ちが膨れ上がってくる。胸を小突くようにノートを押し付ける。それでも手に取らない。

苛立ちがピークに達し、車椅子に座るため折り曲げられた膝に乱暴に叩きつけた。そのまま去ろうとした直後、パシャと何かが落ちた音がした。音の先を見ると膝に乗せたはずのノートが泥水の中に落ちていた。

同情もしてない、苛立ちもピークを越えている。けど、いい加減不審に思う。

肩を掴んで、揺さぶる。髪に隠れた顔がチラチラと露わになって思わず手を離した。さっきアスファルトに擦ったんだろう、顔半分が擦り傷だらけで雨に流れた血がピンク色になって顎を伝ってる。同様に、袖から覗くワイシャツの袖口もピンクに染まってる。

蒼白した、両目が閉じられてる顔が異様で、再び肩をゆする。触れてわかった。呼吸が無い。いくら待ってみても息を吸わない、吐かない。

「おい、おいって」

大きく揺すった身体は前のめりに揺れ、そのまま濡れた地面に落ちた。

ーー

あれから3日間、アイツは学校に来なかった。そして4日目の今日、ついさっきまでやってた朝のホームルームでの担任の話を全く思い出せない。ただ、担任はいつものジャージでなくやけに黒いスーツを着てた。それだけは覚えてる。

教室の端に孤立してる机、その上に置かれた一輪挿しに刺さった花。コレは、つまり、そういう事なんだろ。

今日は職員会議で授業は総潰れ。クラスメイトが次々と帰り支度を始めてる。俺もカバンを持って、校舎を出た。

校舎裏、桜の木の下を手で掘り返す。土で燻んだ、花、蝶々の柄のノートを掴んで引っ張り出す。あの日、担任を呼びにいく前に咄嗟にここに隠した。

未だ湿り気を帯びている表紙から土を払う。雨に濡れたノートの中は、ペンで書かれた母親の文字のインクが滲み、母親のページの殆どが読めなくなった。鉛筆で書かれているアイツのページは、滲んだインクや泥水が染み込んでいない部分だけ、文字が残っていた。

文字が書かれた最後のページから遡ること1週間分、母親がページに記載した形跡がない。アイツが、アイツの分のページに、母親に対しての返事をひたすら書き続けていた。

アイツが書いた最後のページの文を読んだ。不恰好な文字に拍車がかかったような、震えた文字。

寒くもないのに鼻をすすった。職員室を訪ね、教わった住所へと走る。10人もいない、線香の匂いが広がる空間。開かれた長細い箱の中に、ノートを入れた。右目の端に見た車椅子は傷だらけだ。

箱に横たわる首から上を見る事なく、走った。これでいい。

これでまた、続けられるだろ。



ーー月ーー日ーー曜日

今日はいい天気だったよ
お母さん ぐあい良くなったかな
学校がおわったらまた 会いにいくね

毎日れんしゅうして 少し 足うごかせるようになったよ
いっしょに さんぽ したい

ごめんね 読みにくいかな
かんじが 思いだせなくて
毎日 ノートかいてるのに
でも字はきれいになったでしょ

おかあさん 

天ごくって どんなところですか
幸せですか
死ぬのは こわいですか

お母さん
死にたくない

でも たぶん もう少しで 会えるから
お母さんに会えるから だから 大じょうぶ
また ぼくの お母さんになってね

また こうかんノート しようね



end.

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